2017年4月2日日曜日

全指向と無指向->悟り->偏見を無くすには色々な偏見を持つ

マイクには指向性というものがある。カラオケ等でよくみるボーカル用の棒状のマイクを想像してみてほしいけど、棒の向いた方向の音を拾う。そういう1方向の音を拾うように設計されたものを単一指向性という。

一方あらゆる方向の音を拾うマイクもある。環境音を取るとかいう用途に向いてて、それは「無指向性」又は「全指向性」とか言われる。

この無指向=全指向、無=全というのが興味深い。

例えば仏陀の「悟り」とは自分の理解では
 全てを無と捉える=全ての物事を知り、かつそれに執着しない
ということだ。

ブッダは若い頃は遊び呆けてたけど、「民は苦しんでるのにワイはこんなに遊んでてえんやろか?そや、沙門になったろ」みたいな感じで出家したらしい。それで、世の中の快楽も苦も味わった後に悟りにいたったという。つまりこれは全てを知り尽くしたうえで全てに執着しないという境地に至った、いわば「単一指向」ー>「全指向」=「無指向」という過程を経たということだな、と思った。

人間知識と経験を積むにつれて、だんだん丸くなる。

知識が少ないとたまたま触れた思想に強く影響されてそれを盲信する。
→知識と経験が増えるにつれ、バランス良く理解、行動できるようになる。

異性と付き合う経験が少ないと優しくされるとすぐ好きになる。
→経験が増えると自分が異性に何を求めているかを知り、本当に合う異性がわかってくる。

みたいな。いわば最初は単一指向で双指向を経て全指向=無指向に至る。ということで例えば偏見を無くすためにはその偏見を潰そうとするのではなく、知識、経験を積んで別の色々な偏見を持てばいい。そうすれば相対的に元の偏見は少なくなる。みたいなことを思った。